1976年3月11日 広島県にて誕生
小学校時代は好奇心旺盛で剣道・習字・民謡・ボーイスカウト・水泳・学習塾・家庭教師・進研ゼミ(笑)など沢山の習い事を自分から親に頼んでさせてもらっていたが、熱しやすく冷めやすいタイプのようで長続きせず、すぐに辞めてしまうような子でした。
強い選手ではありませんでしたが、剣道だけは小2~中学校まで継続し地元の広島市立矢野中学校では剣道部主将として活躍。
その時に身についたのが礼儀と根性。
おかげで今でも根性だけは誰にも負けない自信があります。
中学校卒業後は地元の広島県立安芸府中高校に進学し、なぜか全く畑違いの陸上部に入部。
長距離選手として3年間走りこみました。疲労骨折を経験し辛い思いをしたことも。
その時初めて治療でお世話になったのが近くの整骨院の先生でした。
今考えると治療家になる初めのきっかけがここの整骨院の先生だったと思います。
しかしその時にはまだ柔道整復師の資格の事も知らず、すぐに整骨院の先生になりたいと思ったわけではなく、スポーツ選手のトレーナーを目指し、大阪のスポーツトレーナー養成校へ進学しました(親には卒業後は広島に帰りますという約束で大阪にださせてもらったのですが…。)
専門学校に在学中、テーピングを勉強・実践したいと思い大阪市内の整骨院でアルバイトをさせていただきました。
その時に柔道整復師という整骨院を開院するのに必要な資格があることを知り、そのまま弟子入り。
そこで社会人・治療家としてのイロハを叩き込んでいただきました。
柔道整復師の資格を修得するため、朝は整骨院で働き、昼間は専門学校へ。
夕方帰ってきてからまた整骨院で夜まで働き、家に帰ってから勉強するというかなりハードな毎日を送りました。
20歳を過ぎていましたので学費は親に頼りたくなく、見習いとして頂く少ない給料の中から何とか捻出。
専門学校時代はとても貧乏でしたが、師匠や兄弟子などにいつもご飯に連れて行ってもらい、助けてもらいながら厳しく楽しい毎日を送ることが出来ました。
専門学校の1年生の時に奥さんと結婚。
私の少ない給料の中から奥さんの鬼のやりくりで学費と生活費を捻出してくれたおかげで借金せずに専門学校を卒業することが出来ました。
この場を借りて
「本当にありがとう!」(※おかげで今も頭が上がりません笑)
人生のピンチの時々で、救世主のような人が現れ、乗り越えることができてきました。
今まで色んな方々の支えがあり現在の私があります。
これからはご恩返しのつもりで、私が救世主のような存在になりたいと思っています。
そんなこんなで、柔道整復師の国家試験にも無事合格することができました。
その後、大阪市内のいくつかの整骨院、整形外科で働かせていただき、数多くの臨床経験を積むことが出来ました。
「そろそろ開業かな」
と思っているところへ、
「奈良県北葛城郡王寺町で新規立ち上げからの整骨院の院長をやってくれないか?」
とお声がかかりました。
当時大阪市内に住んでいた私は
「奈良県ですか…?」
と渋っていましたが、
「天王寺から快速で20分だから」
との押しに負け(笑)院長を任せていただくことになりました。
そこでは治療だけではなく、経営面、院の運営・企画・治療家育成・マネジメントなど数多くの事を経験させてもらい、毎日とても忙しかったですが色んな事が勉強になり、毎日が充実していました。
開院後は多くの患者様にご来院いただき、毎朝、受付開始前から行列のできる地域1番の人気の院に。
地域医療に奮闘し結局11年間院長を務めさせていただきました。
「田邊君、急きょ明日から河内長野へ行ってくれ!」
との辞令が!
「マジですか…!河内長野…。3ヵ月だけですよ…。」
私が行かないと閉院になるというので、渋々3ヵ月だけという期間限定の分院長代理生活が。
河内長野市は、地名として聞いたことがありましたが、実際に行ったことはなく、めちゃめちゃド田舎というイメージがありました。
家を出るのは6:00、地下鉄、南海電車、バスを乗り継いで、帰宅するのは23:00というハードな毎日になりましたが3日もすれば、河内長野市南花台をとても気に入り
「将来的に住んだり、独立するならここやな」
とこの時に決意しました。
何が気に入ったのかと言えば、色々あります。
環境はもちろんですが、一番は人ですね。
のんびりしていて温かい。車の運転中、ウインカーを出せば、8割の方は停まって入れてくれる(笑)
今まで住んでいた○○市ではあり得ないことです(笑)
3ヵ月の任期終了後、社長に
「河内長野を気に入ってしまったのでこのまま残らせてください」
と直訴しましたが、
「3ヵ月間の約束だったから後任を決めてしまった…。」
との事で、がっかりしているところへ、奈良県での分院長の話をいただき、新規一転、奈良県で頑張ることにしました。
奈良県ではJR王寺駅を降りてすぐにある、院の面積30坪、スタッフ総勢15名の大型店舗の院長として今までの経験とは全く違うスタイルで地域医療に奮闘しました。
患者様が増えすぎて開院半年後には隣のテナントも借りて規模も大きくなりました。
忙しい毎日を奈良県で送っていましたが、河内長野市での開業の気持ちはそのままで、休日には家族を巻き込んでテナント・土地探しに河内長野市を訪れました。
途中、妻の出産などで土地探しも一時中断した時期もありましたが、地元の不動産屋さんに無理を言いながら数えきれないくらいの物件を見て回りました。
中々気に入ったところが見つからず
「どうしよう…。」
と言ってるところへ不動産屋さんから、
「チラシに出る前の良い物件が南花台に出ましたよ!」
との連絡が。
家族ですぐに駆け付けました。
閑静な住宅街の中で、大通り沿いではないものの、スーパーの裏側で、同じ筋に昔からやられている美味しいパン屋さんもある。
「インフォームド・コンセプトを大切にした、患者様とじっくり向き合って、『カラダも心も笑顔に!』なって頂ける治療をおこなうのには1等立地のすごく目立ったところにである必要はない。こういう隠れ家的なところの方が患者様に安心していただけるかも!よし、ここに決めよう!」
そこからはとんとん拍子に話が進み、身体に優しく、リラックスして治療をうけて頂く為に、院内空間にもとことんこだわり、『無添加住宅』で設計・建築していただきました。
外壁・内壁・天井・断熱材にいたるまで建物全体に化学物質を全く使わず、無添加の天然素材を使用しています。
「なんだか気分が良いな」
そんな空間を意識しました。
平成23年には店舗も出来上がり、大阪市内から河内長野市南花台に家族4人で引っ越してきて、いつでも開業できる状態になったのですが、今までお世話になった、王寺町の整骨院にも多くの患者様がおり、なかなか自己都合だけで退職できる状態ではなく、しばらくは河内長野市から奈良県北葛城郡王寺町まで、南海電車とJRを乗り継いで通勤しました。
店舗部分は子供たちの良い遊び場に(笑)
往復3時間以上の通勤時間は、読書や調べもの、DVD観賞に充てることができそれはそれで有効に活用できました。
朝はすごく眠たかったですが…(笑)
休日にはボランティア活動として、平成27年10月にオープンした咲っく南花台で、健康スタッフとして「身体のゆがみ」「腰の痛み」「膝の痛み」「骨盤のゆがみ」「猫背」「姿勢評価」「コルセットの付け方」など専門知識を生かせた健康相談会を開始しました。
もっともっと、河内長野市の地域の皆様の「健康に対するお役に立ちたい」という思いが強くなり、平成28年6月1日に【南花台田辺整骨院・整体院】を開院させていただきました。
ご近所にお住いの方々、【南花台田辺整骨院・整体院】へご来院頂きましたすべての患者様、咲っく南花台ボランティアスタッフの皆様、河内長野市市役所、河内長野市商工会、河内長野市商店連合会、その他多くの関係者の皆様の支えがあって、無事開院、運営させていただいています。
『カラダも心も笑顔に!』
をモットーに全力で地域の皆様の健康をサポートし、私の大好きな河内長野市の活性化のお役に立てる治療院にしていきます。
約20年の治療経験と延べ150,000人の施術実績がある当院院長の軆(カラダ)バランス整体をぜひ体感してみてください。
どうぞよろしくお願いいたします。
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